ピースボート「フライト&クルーズで地球一周の旅」

2015年8月出航の第88回「ピースボート地球一周の船旅」に途中のドバイから乗船するコースを選びました。

一人参加の「88日間フライト&クルーズ・旅の記録」です。

1.地球一周りの旅・ドバイに降り立つ

<9月11日〈金) 気温/38℃ 北緯18.22度 時差/ー5H>


2015年8月21日に横浜を出港したオーシャンドリーム号(ピースボート)は第88回108日間の世界一周の旅に出発しました。


寄港地のフィリピン(セブ島)、シンガポール、インド(ムンバイ)を廻って明日12日にアラブ首長国連邦のドバイに入港します。


途中乗船組の私は、9月10日の未明に羽田空港を出発して今朝、アラブ首長国連邦のドバイに到着しました。

    

そのほか大阪・成田の空港からの参加者たちとホテルで合流。総勢200名になりました。


午後からは市内見学。


アラブ首長国連邦のドバイは、アラビア半島のペルシャ湾に面し、そのつま先部分に位置していました。


アラブ首長国連邦(人口800万)を構成する7つの首長国のうちひとつで、首都はアブダビですが、最大の都市はドバイ〈人口200万)。


北海道ほどの大きさの国でした。アラブ首長国連邦は人口の20%(160万人)がアラブ人。その他は、近隣諸国からの出稼ぎ労働者でインド人300万人。その他、パキスタン人・イラン人・エジプト人・インドネシア人・・・。


元からいたアラブ人は、税金や教育費・医療費・光熱費は無料で、公務員の給与は(年収1500万〜2500万)、豊かな生活をしていました。


かたや、出稼ぎ労働者は土地や住宅の購入はできず、平均月収9万円。家賃20万円のアパートを10人〜20人でシェアして住んでいるという現状がありました。


この日の現地ガイドはエジプト人。カイロ大学の日本語学科を卒業。エジプトでガイドをしていましたが、このところの不安定な社会情勢から、観光客が激変。


そのためドバイに出稼ぎに来ているとのこと。とても流ちょうな日本語でアラブの様子かたってくれました。


80年前は小さな漁村だったドバイは、石油の発掘により豊かになったため、税金のかからない政策を取り、世界中から各企業が集まっていました。


そして、歴史ある遺跡などの観光名所がなかったため、新たに世界で一番高いもの、大きなも施設を作って人を呼び込むという方式をとり成功していました。


ヤシの木をイメージでつくられた人工島のパーム・ジュメイラ。
世界でほかに類を見ない5つ星ホテルのパージュ・アル・アラブ。

                                          



世界一高い828mの高さのバージュ・カリファの125階の展望台からの眺めは、まるで近未来都市を思わせる光景が広がっていました。

                                       

    


   


<9月12日〈土) 気温/38℃  時差/ー5H>


8月21日に横浜を出港したオーシャンドリーム号(ピースボート)がドバイに入港。


               

    



途中乗船組の私たちは、午前中ドバイのゴールド市場やスパイス市場を見学後乗船。


    

    

    

         


何十年ぶりかの”ひとりの生活”の始まりです。船内生活オリエンテーションの後、避難訓練。ライフジャケットの使用法などの説明を受ました。ハウスキーパーさんは、インドネシア出身の20歳位の若者でした。 



<9月13日(日) 気温/35℃  時差/5H>


この日の午前中は、オプショナルツアーは全部で6個。


その中から、80年前のドバイの様子を知ることの出来る「シェイク・サイード・ハウス」と文化や芸術にふれる「イスラム芸術センター」の見学を選びました。           


午後3時カタールのドーハに向けてドバイを出港。


     



船内では水先案内人講座
  「ガザ戦争しか知らない子供たち」を受講                 
    講師は国連パレスチナ難民救済  保険局長  清田明宏さん


夜間は数日前から海賊の出没が多い地域入っていたため、デッキに出ることは禁止。デッキや窓は暗幕で覆われていました。


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