ピースボート「フライト&クルーズで地球一周の旅」

2015年8月出航の第88回「ピースボート地球一周の船旅」に途中のドバイから乗船するコースを選びました。

一人参加の「88日間フライト&クルーズ・旅の記録」です。

4.地球一周りの旅・紅海からスエズ運河へ


            <9月20日(日) 気温32度  北緯12.54度  時差-6H>


午前5時、ドーン・ドーンと船が叩き付けられるような音と振動で目が覚めました。午前4時頃に、海賊の危険水域は通過しているにもかかわらず、船体をたたく音は何?と恐る恐る船室を出てみたところ、船内は静まり返っています。


10階の甲板に出てみると、そこには普段通り、ウォーキングする人、海を眺める人の光景がありました。


船室に戻って、カーテン開けて海をみると、船首に近い6階の私の部屋の窓にまで、波しぶきが飛んできていました。先ほどの船をたたくような音は、高波が船体に当たる音だったようです。


正午、海賊の出るアデン湾を抜けた船は紅海に入りました。
私は、紅海は「紅」という名から、やや赤茶けた海を連想していましたが、いけどもいけども、そのような赤い色をした海を見ることはありませんでした。帰宅してから、ネットで調べてその意味がわかりました。

            


 昔は、方角を色分けして考えた(例えば北の黒海)ため、南を表す赤となった。ヘロドトスも赤い海と南の海を交互に使った。また、エジプトの砂漠を赤い大地と言ったことがあり、その大地の海という意味」とありました。紅海は、きれいな青い海でした。


  また、サウジアラビアに面したこの紅海は、原油の採掘地です。
目を凝らすと遠方に油田の採掘現場を確認することもできまし

                                         

    
    
      <9月23日(火) 気温29度  北緯28.56度  時差ー7H>


紅海に入って3日目です。午前6時半、日の出の時刻に甲板に出ると、太陽が一本の帯状の雲を抱かえて顔を覗かせました。


   


右手には陸地の影がみえだしました。モーゼが、神から十戒を授かったとされる、シナイ山のあるシナイ半島です。


  


左手にはエジプトの赤茶けた島が見えました。
    

         


午後4時、スエズ運河入口のスエズ湾錨地に到着。
錨を下ろしました。スエズ運河を航行する船の停泊地です。
     
周囲には、続々と翌朝通過する船が集まってきました。
地中海側から通過してきた船も行き交います。今夜は、この錨地に停泊です。
   



    <9月24日(水) 気温26度>


午前4時、薄明かりの中、船が動き出しました。
今日のズエズ運河航行のトップを行くようです。


1時間ほどたったころ、周囲に灯りが見えてきました。私は、カメラを持って、船室のある6階から10階のデッキに駆け上がりました。


デッキのドアに手をかけたとたん、大音響の音楽が聞こえてきました。左舷側には町がみえます。スエズ運河航行を祝っての、地元の人たちの歓迎の音楽と思いきや、すぐに勘違いに気づきました。運河脇に建つモスクの拡声器から聞こえる音でした。
 

  

               


                                        後から、音楽と思ったのは、イスラム教徒が1日に5回行う礼拝の「アザーン」という、呼びかけだと気づきました。


午前5時40分。右舷シナイ半島の砂漠の丘陵地帯から日が昇りだしました。幻想的な光景です。

  


スエズ運河は、今年の8月に、全長163キロメートルの運河に並行する、新しい35キロメートルの運河と、既存の運河のうち37キロメートルに渡る区間の掘削と拡張で、運河の大半の区間で船が同時に双方向に航行することができるようになっていました。


これにより、紅海から地中海への通過時間は、今までの18時間から11時間に減少。
また、運河を通航できる船の数が49隻から97隻にに増えていました。


船の速度は約9ノット(時速16.5K)。船間距離は1マイル(1.6k)。
運河を削らないようのんびりと進みます。


   

      
 両岸にはときどき町が現れ、両岸を行き来する、渡し船も見えます。
  

   

                    


正午、私たちの乗った船は、新しくできた第2運河に入りました。


    


近くにある港、ポートサイドに寄稿しない船は、第2運河を航行する決まりとなっていました。地中海の出口に近づくにつれて、周囲の光景が変化してきました。


等間隔に人がひとり、やっと入れるくらい見張りの塔が設置されていました。
船が通過するたびに「ピーー」と合図が鳴ります。次の塔への通報なのでしょう。


 


岸辺を走るジープには、機関銃が装備され、岸辺には何台もの戦車がありました。


       


私が、この旅を申し込んだ時点(昨年の12月)ではエジプトのポートサイド寄航が予定されていました。しかし、出港前の5月「海外危険情報」により寄航が取り消された地域でした。


午後12時30分、アフリカ大陸とアジア大陸を結ぶ唯一の道路大橋で、日本政府が出資し、五洋建設が建設を請け負ったエジプト-日本友好橋を通過しました。

   

              


この五洋建設は、過去のスエズ運河の難関工事にも携わった会社でした。


通過する前日、NHKのドキュメンタリー「プロジェクトX」で放送された録画「挑戦者たち・スエズ運河を掘れ」を見て日本人の技術力、忍耐強さに感動したばかりでした。


そのとき五洋建設で、日本から後方支援に携わったという方が偶然船に乗船していました。


午後2時30分、船はスエズ運河を抜けて地中海へと入りました。それまでの蒸し暑さはなくなり、乾燥した地中海の風が涼しさを運んできてくれました。


 



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