ピースボート「フライト&クルーズで地球一周の旅」

2015年8月出航の第88回「ピースボート地球一周の船旅」に途中のドバイから乗船するコースを選びました。

一人参加の「88日間フライト&クルーズ・旅の記録」です。

3.地球一周りの旅・海賊の出るソマリア沖航行。

  <9月18日(金) 気温/27度   北緯/14.40度  時差/ー6H>


アラビア半島の北の海域、ソマリア沖のアデン湾に入りました。今日から2日間、海賊の出没の一番高い地域を航行します。

    



午前7時30分、右舷前方のはるか彼方、水平線近くに船影がみえました。
午前8時、先ほど見えた船が、私たちの船にむかって走行していることが判りました。
自衛隊の護衛艦でした。

          

     
自衛隊のヘリコプターも様子を見に飛んできました。
付近には、今まで姿の見えなかったタンカーやコンテナ船も近づいてきました。
  

   


しばらくすると、合計5隻の船が船団を組み、護衛艦が船団の前後について航行を始めました。

   


 この護衛船は、2007年ごろからソマリア沖やアデン湾にて海賊行為が頻発したため、日本政府も海賊行為対処のため出航させた海上自衛隊の護衛艦2隻です。
    

        



Wikipediaによると、
護衛する船は「日本船籍の船」、「外国船籍のうち日本人の乗組員の存在する船」、「外国船籍のうち日本の運行管理者が運行している船」、「外国船籍のうち日本の貨物を輸送している船」


現在は、各国が共同で守備をするゾーンディフェンス方式も採用されて、そのための護衛船1隻も配備されていました。私の乗った船は海賊への対策として、この区間のみ、海賊がハシゴをかけて乗り込むことのできる、4〜5階の窓を鉄板で覆いました。


海賊は1人でも人質を確保できれば、身代金を要求できます。夜間は外に明かりが漏れないように、暗幕を張り航行を続けました。この2日間で、アデン湾に出没した海賊船は32隻だったそうです。海の穏やかな冬場には50隻を越えるそうです。いまは衛星通信で、監視体制が整い、すぐさま対応がとれるようになっているとのことでした。また、10K離れていれば逃げきれるとのこと。


1990年代から出没を始めた海賊。その海賊になった人たちには、海賊にならざるを得なかったさまざまな要因がありました。


また、海賊たちは、もともと漁業に従事していた漁民であった者が多い。
1991年のバーレ政権崩壊後は内戦と機能しない暫定政府(無政府状態)が要因で魚の輸出が困難となった。


管理のされていないソマリア近海に外国船、特に欧州の船団が侵入して魚の乱獲を行ったため、漁民の生活は一層困窮した。


1990年代、他国の海産廃が投棄されるようになる。そのなかに放射性物質が多量に含まれていたため、漁師を中心とする地域住民数万人が発病。地域住民の生活を支えていた漁業もできなくなったこの結果、困窮した漁民がやむなく自ら武装して漁場を防衛するようになり、一部が海賊に走ってそれが拡大したものとする分析がある。


しかし、他方では高速船の使用・武装の程度・訓練状況に見られる海賊の態様は漁民の困窮とかけ離れたものであり、海賊達が外国メディアにインタビューを受ける際に、自らを生活に困窮した元漁民と称して同情を引きだし自らの行為を正当化するための組織的な宣伝によるもので、最初から武装集団が海賊を始めたという意見もある。



その他の記事としては
「ソマリア沖の海賊は”悪”か」
海賊に襲われた貨物船の船長を主題にした映画「キャプテン・フィリップス」 http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20131128/1053797/ 


追記
2016年11月1日、日本政府はソマリア沖海賊の出没が減少したため。海上自衛隊の護衛艦を2隻から1隻に減らすことを決定しました。


        



   <9月20日(日) 気温/32度   北緯12.54度   時差/6H>


午前6時。無事、護衛を終えた船が小さくなって、水平線上の日の出の方角に去っていくのが確認できました。船は、これから紅海に入っていきます。


       


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