10. ピースボートで地球一周りの旅・ドヴロニクへ
< 10月3日(土) 気温24度 晴れ 北緯42.38度 時差ー7H>
午前7時。クロアチアのドヴロニク入港。
「アドリア海の真珠」とたとえられたドヴロニクは、中世には、ヴェネツィアにつぐ2番目の海洋都市国家として栄えていました。国の名はクロアチア。
7年前、始めてクロアチアという国名を目にしたとき、どこにあるのかもわからない状態でした。
調べて判ったことは、以前は、バルカン半島にあった、旧ユーゴスラビア社会主義共和国を構成する6つの共和国のなかの1つの国だったということでした。
その当時は、3つの民族の集合体でした。1992年にクロアチアは独立しましたが、その当時バルカン半島は民族間の争いで、激しい銃撃戦が行われていたことを知りました。
1984年、冬季オリンピックの開催されたサラエボ(ボスニアヘルツゴビナ)で、オリンピック後、民族戦争があったことは鮮明に覚えていました。
同じ時期の1991年、クロアチアも各民族同士で殺戮が行われ、世界遺産の町ドヴロニクも、町の8割が破壊された悲惨な状況でした。民族浄化路線により、大量の死者とセルビア人難民を生み出した戦争の終結は1995年でした。
戦争終結から20年後の現在、大理石が敷き詰められ、中世の雰囲気を味わえる城壁に囲まれたドヴロニクの町は修復が進み、観光の町に復興していました。
大理石でできた大通りは、長い年月をかけて鏡のように人影を映し出していました。
この記憶に新しい戦争と、復興を目の当たりにして感じたことは、現在、民族・宗教間の争いで、テロによる殺戮・世界遺産などの破壊が行われている今の中東情勢です。旧ユーゴソロバキアのように、近い将来、中東にも平和が訪れると良いのですが。
この日のツアーは「ドブロニク郊外コナベル地方のハイキング」に参加。
コナベル地方は、ドブロニクからバスで南に1時間ほどいった昔ながらの、のんびりとした山間の村でした。
始めに訪れたのは人口8,000人のチリピ村の博物館。
コナベル地方は幾何学模様の刺繍が盛んな地域でした。
博物館のなかにはさまざまな模様の
刺繍や民族衣装が展示されていました。
また、チリピ村は毎週日曜日に、伝統的な衣装に身を包んだ人々が、
民族舞踊(フォルクローレ)を披露します。
村の教会では日曜学校が行われていました。
博物館の見学の後は山道のウォーキング
山道に咲く野生のシクラメン
昼食はハイキングコースの途中にある農家レストラン。
そこでは、お水代わりのワインが飲み放題、
ワイン好きの方たちは大喜び。
食事の後は、レストランの方たちの温かなもてなしに対してお礼をこめて、
参加者全員で童謡「ふるさと」の歌をうたっての交流がありました。
船は23時モンテネグロのコトルに向かって出港しました。